今回は、病気に苦しむ叔母と祖母のことを書きたいと思います。

私の叔母(母の妹)は、乳がんがリンパ腺に転移し、たいへん苦しんでいます。1/10の夕方、叔母の家族より「危篤」の連絡が入りました。電話で連絡を聞いて泣き崩れる母。祖父と母が、急遽、叔母のいる大分に向かいました。叔母は一時、出血が止まらない状態だったのですが、母らが着く頃に血が止まり、一命を取り留めました。家族一同、胸を撫で下ろしました。
私が叔母と最後に会ったのは2年ちょっと前。曾祖母50回忌の時でした。そこで叔母が私に言った言葉は「もう逝くからな」。この吹っ切れたような言葉が今でも忘れられません。
叔母はまだ55歳。しかも祖父母(叔母の父母)ともに健在です。復活を待ち望みます。

次に私の祖母(母の母)です。祖母は認知症です。私が地元にUターンしたことをなかなか覚えてくれず、「もう大阪に帰るの?」とつい最近まで言われていました。また、私のことを済生会病院のお医者さんだと勘違いしています。
祖母は肝硬変も患っていて、不定期に「肝性昏睡」という昏睡状態に陥ります。昏睡状態に陥るたびに「もう死ぬのでは」との恐怖を感じます。
認知症は、介護する側がすごくたいへん。祖父も母らも一生懸命なのですが、祖母はそんな一生懸命の祖父や母を叩いたり、祖父に対して「もう別れようや。」と口走ったり…。背筋が凍ります。
私も皆が手を離せない時には面倒を見ますが、たいへんなのはトイレです。頻繁に「おしっこに行きたい。」と言います。もちろん一人では行けないし、服の上げ下げもできないので、たいへんなのです。
そんな祖母も数年前までは元気だったのに、、、と思うと悲しくなります。ちなみに、祖母は大昔の国体で、聖火ランナーをしたこともあるような人です。

認知症の特効薬が開発される日が待ち焦がれます。

今私が考えることは、今回の事象から自分がどんな行動を取ることができるのだろうか、ということです。
必死に生き抜く家族を支えることはもちろん重要ですが、それだけでなく、“認知症”社会、“がん”社会とどう向き合い、闘っていくのか。また、私たち団塊ジュニア世代、その他の世代もですが、現在の生活習慣、食習慣は本当に今のままでよいのか。

これらの病気は、古き良き時代には今ほどメジャーな病気ではなかったのでは、とか思うと尚更考えてしまいます。

(2007/2/24追記)
2月23日、残念ながら叔母が他界しました。
生前の叔母の多大な功績に感謝するばかりです。
これからは、天国で私たちを見守っていただきたいと思います。
私も、亡き叔母に恥じない生き方をしていく所存であります。